​佐久丈史のストーリー

あるいは、彼はいかにして、戦場カメラマンになったのか

大学4年の夏、佐久は人生で初めての一人旅に出かけた。いわゆるバックパッカーだ。

最初はヨーロッパに渡り、バスやヒッチハイクで南に向かって横断しながら、最終的に中東のトルコに訪れた。佐久がそれまで思っていたイメージに反し、イスラム圏の人々は、みな実直で優しい人間ばかりだった。

彼らの多くは無条件で佐久に親切に接し、佐久もまた彼らをすぐに好きになった。

トルコからすぐに帰国する予定にしていたが、佐久は持ち金が尽きるまで、もうしばらく中東の国々を回ることに決めた。もちろん極力危険な地域は避けるようにルートを組み、細心の注意を払って行動するようにしていた。

 

それでもある中東の国で乗合バスに乗ったとき、ふいに眠りこんでしまい、当初の目的地をかなり過ぎた田舎の街に来てしまった。そこは日本政府が危険地域に指定している紛争地域だった。バスを降りた場所は、中東の田舎らしい繁華街の広場で、たくさんの人々で賑わっていたが、町のあちこちに、ミサイルで破壊されたガレキの建物が当たり前のように点在していた。

 

佐久は、その場で引き返す車を探したが、すぐに出してくれる車は一台も見つからなかった。ようやく一台乗せてくれそうな車を見つけたが、出発はまだ数時間先になると言われた。

出発までの間、佐久はなるべくその場から離れないことに決め、広場にあったベンチで休むことにした。ベンチに腰を落ち着かせると、疲れが一気に押し寄せてきた。ここ数日、まともに眠っていなかったのだ。でも眠ろうとは思わなかった。何かあればすぐに行動できるよう、周りの音に神経を集中していた。

そうしていると、どこか遠くの方からバチバチと銃の飛び交う音とミサイルが落ちる地響きのような音が聞こえてきた。でもそれが本当に聞こえている音なのか、疲れと緊張から来る幻聴なのか佐久には判断がつかなかった。もし今、まさに現実に起こっている音だとしたら、それは、とてもとても小さな戦争の音だった。佐久はじっと、その音に耳を澄ませていた。そして、いつの間にか眠りに落ちてしまった。

 

目が覚めると、街は夕日に染まり、目の前に一人の少年兵が立っていた。少年兵は佐久を観察するように眺めていた。くたびれた戦闘服を着て、肩には身長とほぼ同じくらいの長さの小銃をぶら下げていた。

「何してるの?」と少年兵は拙い英語で佐久に訊ねた。

「車を待ってる」と佐久はなるべく平静を保つようにして答えた。

「ふうん。中国人?」

「いや、日本人だよ」

そう言うと少年兵は少しだけ怪訝そうな顔をみせた。もしかして、この土地で日本人であると言うのは軽率な事だったのかもしれないと佐久は不安になった。けれど、少年兵は銃を地面に下ろすと、おもむろにズボンの裾をたくし上げた。裾を上げた素足にはボロボロの靴下が履かれ、そこに縦笛を挟んでいた。

少年兵は、縦笛を取り、吹き口の辺りを戦闘服の上着で何度かこすった。

「聞いて」と少年兵はそう言って縦笛を吹きはじめた。

最初、この国の歌か何かかと思っていたが、よく聞いてみると、それは佐久自身もよく知っている曲だと気づいた。

 

『上を向いて歩こう』(坂本九)

 

見事な演奏だった。少年兵は、一度もつかえることなく、ジャパニーズスタンダードの名曲を吹き終えた。

「僕は今日、学校で誰よりも上手く吹けたんだ」と少年兵は言った。

「へえ、すごいな」

「どうしてだと思う?」

「わからない。どうして?」

「敵を殺したからさ」

少年兵の鼻が少しだけ膨らんだ。

「昨日はじめて敵を殺したんだ。だから今日は誰よりも上手く笛が吹けるのさ」

少年兵はそう言うと、満足したように再び縦笛を靴下の中にしまい、銃を取り上げた。

「じゃあね」

と、少年兵は去っていった。

去りゆく少年兵の後ろ姿を見ていると、突然、あの少年兵を写真に撮りたいと思った。

それは、佐久にとって生まれて初めて感じるくらいの強い衝動だった。佐久は、咄嗟にバックの中から一眼レフを取り出し、ファインダーを覗いた。そして赤い夕日に染まる少年の背中に焦点を合わし、シャッターを押した。カシャ、という乾いた音が空気を震わせた。

その瞬間、少年兵はハッとなって、こちらに振り向いた。そこでようやく、佐久は自分がやってはいけない行動をしたことに気づいた。少年兵は佐久に向かって銃を構えていた。それはさっきまでの少年兵とは全く別人のように見えた。そこに、子供らしい表情は微塵もなかった。正確に言えば、人間らしい表情そのものが欠落していた。

 

落ち着けと、佐久は自分に言い聞かせた。今は絶対に取り乱してはいけない。

佐久は、少年に向かって静かにこう訊ねた。

「どうして、敵を殺すと笛が上手くなるの?」

それでも少年兵はしばらくの間銃を構えたまま、微動だにしなかった。暗い海の底のような沈黙がしばらく続いた。もしかして、俺はここで死ぬかもしれない。佐久がそう思ったとき、少年兵が、ゆっくりと銃のかまえを下ろした。少年兵の表情に、ようやく子供らしさが戻ってきていた。

「そんなのわからないよ」と少年兵は答えた。

「わからない?」

「わかる必要なんてないさ。だって、そう感じるんだから」

 

少年兵がその言葉を知ってかどうかはわからないが、最後に言ったその英語の言葉は、今も世界中で知られている、ある有名な名言だった。

 

「Don’t think, feel.」(考えるな、感じろ)

 

そのようにして、少年兵は去って行った。

© 「あるいは、とても小さな戦争の音」製作委員会